僕はまだ精神の安定を成し得ない。
ごきげんよう、てふてふです。
梅雨も明け、無慈悲にも厳しい夏の開幕を
感じますね。
前回があんなに多幸感に溢れていた(?)ブログだったのに、今回はバキバキの鬱です。
ウキウキの夏、希望…………あややも卒倒するほどの暗さ…知らんけど…
ここから先はもう文体から暗さを滲ませてくので…お気をつけください…(?)
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なにはなんとも精神が安定しない。
生きるのが少ししんどいんだ。
漠然と心の中に、ずっとずっとモヤがかかっているような、喉にちょっとした小骨が引っかかっているような、
そんな些細な”生きづらさ”と共存している気がする。
なにか大きな要因があるわけではないはずだ。
確かに嫌でも耳に入ってきてしまうコロナ情報、
仕事も雲行きは怪しいけれども、平時よりもお休みも、生活できるお給料も貰えてるんだ。
だから別に致命傷ではないんだ。
むしろわたしは、人の世の幸せを享受できているはずなのにな。
わたし、という人間はもうずっとこうだ。
ただただ漠然と、生きることがめんどくさいなと思ってしまうんだな。ただ、死にたいと同義ではない。死にたくないけど生きたくない、そういう機微か。
少し前に、母に生きづらさについて話してみた。
母はてんでそういった感情は抱いたことがないようだった。つくづく母とはなにもかも真反対だ。
だから、もはやなんとも思わなかった。
でも母なりにわたしを理解しようとしてくれたのだろう、
「おばさんになればそんな事も悩まなくなるから
いいもんだよ」
そっと優しく言葉を掛けてくれて、この話は終わった。
この生きづらさが何なのか、いつか気づける日がくるのか。果たして理解することに意味はあるのか。
それとも、
そんなことすら忘れておばさんになっていくのだろうか。それは、痛みへの耐性が着くからなのか、はたまた些末なものへと形を変えてくれるからなのか。
幸せの花が綻ぶときは、きっとまだ遠いのだろう。
てふてふ