異国の記憶、明日の思想

元女子大生2人が送る究極のエンターテイメント

死ぬまでにやるべきことリストー本物の大人らしさの追求ー

「○○ができる人が本物の大人」みたいなものを誰しもが持っていると思う。今回は私が約四半世紀生きてコレクションした「○○ができる人が本物の大人」の一部をご紹介する。
 
・身近な、例えば自宅付近などの日本国内の道端に何か歴史的文化的な観点で思いを馳せること
一人でブラタモリをやるみたいな感じである。これは、私が第一の趣味である、海外旅行の楽しさを現地の歴史的、社会的、文化的な側面を味わうことに見出していることに起因する。換言するなら、日常である日本と異なる海外現地の何か差異を楽しんでいるのである。つまり、わかりやすい差異に飛びついて喜んでいるのだ。もっとも、できるために具体的に何か行動をしているかといったら何もしていない。日本史選択だったが、それだけである。その後何もやっていない。だけど焦ってもいない。いずれその時が来たら興味が出てくるはずである。
 
アウシュビッツ=ビスケナウ博物館に行くこと
この博物館には「過去を忘れる者は、きっと過ちを繰り返す」という言葉が飾ってあると聞いた。私は真の知識人を目指しているが、そのためには人類が犯した罪を学ぶ必要があると思う。幼少の頃、母親に勉強する意味を聞いたところ「世界平和のためだ」と返ってきた。勉強し様々な観点を身に着けることで利害対立しがちな多文化に対する理解を深め、然らばそれは世界平和に繋がるそうだ。アウシュビッツにあるのは、国が違うことの多文化というより、時代が違うことの多文化だと思うが、いずれにせよ真の知識人たりえるためには一度行ってみて、自分の目で見て、感じることが大事だと思う。
 
シベリア鉄道でロシアを横断すること
実は既にウラジオストクからハバロフスクの1夜だけシベリア鉄道に乗車したことがある。トイレがとんでもなくヤギ小屋臭く、1等以外はシャワーもないため、とてもじゃないが1週間乗り続けることは不可能な気がするが、それでもやはりそのロマンチックさに魅力を感じるし、悠久の凍てつく大地に思いを馳せる経験が人生には必要だと思う。いわば大人になるための通過儀礼みたいなものである。
 
・英語はもちろんのこと外国語、そして日本の古語を不自由なく使えること
真の知識人は邦訳や現代語訳に頼らず一次資料を見れると思う。というか、万人に対してわかりやすく加工されたものは大して価値がないと思うようになったので、読みたい人だけが読めるものに価値があるような気がする。邦訳や現代語訳に頼る人間が真の知識人ではないように感じる。
 
以上が私の「○○ができる人が本物の大人」である。自己顕示欲と権威主義的なところが必要以上に匂うのでタイトルに知識人とは書かなかった。私にも人並みの羞恥心があるのである。(まれーヴぃち)