おうち時間で世界一周してみる vol.0
はじめに
まれヴぃーち的なチャレンジとして
ウラジオストク旅行記1日目
はじめに
飛行機
ウラジオストク空港に到着
トラブル発生
1日目のホテルに荷物を下ろす
いざ北朝鮮レストランへ!
1日の終わり
英語多読に思うところ【20万語】
20万語段階での所感
①難しいと易しいを行ったり来たりすることの効果
②レベル上げ、レベル下げ
③TIME, Newsweek, National Geographic
死ぬまでにやるべきことリストー本物の大人らしさの追求ー
僕はまだ精神の安定を成し得ない。
ごきげんよう、てふてふです。
梅雨も明け、無慈悲にも厳しい夏の開幕を
感じますね。
前回があんなに多幸感に溢れていた(?)ブログだったのに、今回はバキバキの鬱です。
ウキウキの夏、希望…………あややも卒倒するほどの暗さ…知らんけど…
ここから先はもう文体から暗さを滲ませてくので…お気をつけください…(?)
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なにはなんとも精神が安定しない。
生きるのが少ししんどいんだ。
漠然と心の中に、ずっとずっとモヤがかかっているような、喉にちょっとした小骨が引っかかっているような、
そんな些細な”生きづらさ”と共存している気がする。
なにか大きな要因があるわけではないはずだ。
確かに嫌でも耳に入ってきてしまうコロナ情報、
仕事も雲行きは怪しいけれども、平時よりもお休みも、生活できるお給料も貰えてるんだ。
だから別に致命傷ではないんだ。
むしろわたしは、人の世の幸せを享受できているはずなのにな。
わたし、という人間はもうずっとこうだ。
ただただ漠然と、生きることがめんどくさいなと思ってしまうんだな。ただ、死にたいと同義ではない。死にたくないけど生きたくない、そういう機微か。
少し前に、母に生きづらさについて話してみた。
母はてんでそういった感情は抱いたことがないようだった。つくづく母とはなにもかも真反対だ。
だから、もはやなんとも思わなかった。
でも母なりにわたしを理解しようとしてくれたのだろう、
「おばさんになればそんな事も悩まなくなるから
いいもんだよ」
そっと優しく言葉を掛けてくれて、この話は終わった。
この生きづらさが何なのか、いつか気づける日がくるのか。果たして理解することに意味はあるのか。
それとも、
そんなことすら忘れておばさんになっていくのだろうか。それは、痛みへの耐性が着くからなのか、はたまた些末なものへと形を変えてくれるからなのか。
幸せの花が綻ぶときは、きっとまだ遠いのだろう。
てふてふ
言語化できない感情を言語化することの大切さを噛み締める
- 転校先で近所に住んでいてる友人2人は既に友人関係が長いので、私は当然そこに入れないが、田舎というのは近所に住んでいるだけで友人にならないといけないため、常に疎外感を覚えながら友人然としていた。
- 第二次性徴を迎えて身体がこどものものから女性へになる時、自分の身体を奇妙に思っていたし、持て余していた。正直言って増える曲線は気持ちが悪かった。
- 高校時代になると、毎回決まったサイクルでどうしても学校にいけない日が発生していた。死にたくなったり、眠かったり、学校に行って勉強したり部活したいのに、どうしても出来なかった。
さてはて、これらは大人になるにつれて、いや具体的に書くならば、大学入学を期に都会に出てきて全て解決した。何故か。それはアクセスできる情報源が急激に増えたからである。
アクセスできる情報源というのは、田舎と比べると都会は、図書館数も多い、蔵書数も多い、通える選択肢になる医者も多いということであるし、加えて大学進学を期に与えられたパソコンで自由にアクセスできる情報が増えた。それに、当時が丁度SEO対策黎明期であったと思うので、適切な情報に出会える確率がぐんと増えた。
今なら上記のモヤモヤ3つをもう少しクリアに言語化するとこうだ。
- 今思えば毒がつく成育環境であった。私の親は私を褒めるよりもその友人たちを褒めることが多かった。わたしをほめてといえばよくばりだと言って叱られた。最も他者からの褒めが欲しい時期に褒められなかったら自己評価も狂うもの。また私よりも褒められる友人たちと素直に楽しくお遊びなんぞできるわけもない。そうである。友人たちが原因ではなく、私の家に、私に原因があったのだ。そう思うと、自分の気持ちに折り合いが付けられるようになった。
- これは少々難解であるが、村田紗耶香の作品を読むことで言語化に成功したと考えている。身体の変化にも戸惑いがあったが、それよりも徐々に無性別である子供扱いから、(女性というよりも)女子の扱いになることが気持ちが悪かったのだ。急に彼氏、彼女という概念が登場したり、イケてる、イケていないという形容詞が出てきたり、である。これは非常にジェンダーの問題と近く、世の中のジェンダーの問題が解決していないように私の中の女性性の取り扱いも解決していない。しかし、問題に名前がついただけ対処がしやすい。
- 完全にPMSであった。今思えば、PMDDの可能性もあった。けれども、それだとは気が付かず、必要な医療も受けられず、ただただ布団に閉じこもるしか出来なかった。現在は婦人科に通院し必要な処方を受けているため、学校もとい会社に行けない日はない。