異国の記憶、明日の思想

元女子大生2人が送る究極のエンターテイメント

おうち時間で世界一周してみる vol.0

はじめに

とんでもない素晴らしいコンセプトに出会った。
ヴェルヌとさんが紹介されていた、100か国の小説を読むというものである。
元々はTEDでも話したことのあるAnn Morganさんが196か国の本を全部読むという記事に触発されて行ったもの。
私は感動と衝撃に打ち震えた。コロナ禍で海外旅行に行けないイケナイと悲しみにうち震えて布団にくるまっていたが、文学を通してならば世界一周も可能ではないか。私はただ怠惰に身を任せて己の不幸を嘆いていただけなのだ。
 

まれヴぃーち的なチャレンジとして

元々は世界各地を舞台に、現地の方が書いた小説を読もうというコンセプトであるが、ここに私はあり余ったおうち時間を投入するべく、小説以外に、映画鑑賞、現地料理を食す、新書読書などなど様々なアプローチでおうち時間で世界一周をしようと試みている。
 
また、世界一周するにあたり2つの自分ルールを課すことにした。
 
①実際の世界一周旅行の順番で実行する
国名リストから選んでいくと、自分が元々興味のある国・興味のない国で熱量が異なってしまう恐れがある。しかし、「実際に世界一周旅行するルート」ならば、自分の熱量は関係なく実際に行く設定であるので、様々な国に親しむことが出来るという目論見である。あと純粋に世界一周する旅程を考えたい。
 
②現地料理を食べる
五感を使ってその国を味わってみたい。以前イスラエル料理のフムスやファラフェルを作っていたが、それを各地で実行しようというものである。地理が異なれば食事が異なり、食事が異なるならば生活習慣も異なるはず。その生活習慣を体験するにはとりあえず料理を作ろうというものである。

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自分ルールを無視してトルコ料理を作った
ここまで読んで「ほう面白そうじゃないか」と思った人もいると思う。さらに背中を押すためにおうち時間で世界一周するメリットを述べる。
 
①体力や金、時間を心配しなくていい
実際の世界一周旅行は体力、金、時間が必要である。しかし、おうち時間でやるならば何でもありだ。最高だ。
 
②コロナじゃなくても行けない国にも行ける(概念)
世界には興味深いが実際には気軽に行けない国がある。北朝鮮とか、アフガニスタンとか。でも、これなら行ける(概念)
 
③高確率で面白い世界文学に出会える
邦訳になってるものは高確率で世界でベストセラーになってるものである。国によっては絶版になっており入手しにくいものしかないものもあるが、まぁそこまで本選びに苦労しないと思う。本を入手には苦労すると思うが…。
 
一体いつ終わるかもわからないが、コロナ禍がいつ終わるか分からないのでまぁ丁度いいかなと思う(まれーヴぃち)

ウラジオストク旅行記1日目

はじめに

中学生からロシアに興味があったが実際に訪れたのは大学3年生の夏であった。
海外旅行は何回か行ったことがあったが、ロシアのような摩訶不思議な国に行くのは初めてであった。そんなロシア語を満足に話せない人間がウラジオストクに行った記録を残してみる。

飛行機

アエロフロート、23kgの手荷物預けありで往復44.480円であった。大学生でもギリ余裕をもって支払える額である。
2020年現在はS7、JAL等が選択肢にあると思うが当時はアエロフロート以外になかった。

 

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思ったよりも小さくて驚いた覚えがある。
 

ウラジオストク空港に到着

当時極東地域はオンラインビザでよいとのことだったため、オンラインビザを取得。また我々はハバロフスクにも行く予定であり、オンラインビザの適用外であるため、念のためロシア大使館で取得するビザも持っていた。しかし、ウラジオストク空港の入国審査官は何故か「オンラインビザ!」と連呼し、我々のパスポートを受け付けてくれない。おかしい。万が一と印刷しておいたオンラインビザの取得結果の紙(正式な書類ではないはず)を見せてなんとか通過することができた。恐らくオンラインビザを取得する際のデータが入国審査官のPCに表示されたのではないか。今後ウラジオストクに行く方は十分に留意して頂きたい。
 

トラブル発生

入国審査のドキドキを終えて「さぁ街へ!」と思ったのもつかの間、私は自分がパスポートを持っていないことに気が付いた。血の気が引き、強制退国する幻想を見た。忘れ物センターに行っても無いと言われ、アエロフロートの空港オフィスに行っても無いと言われ、何故か大韓航空のスタッフに行けと言われていったが無いと言われ、空港のスタッフに聞いても無いと言われた。やばい。日本大使館にお世話になるルートだ。ただ最後に聞いた空港スタッフが「警察に行ってみたら?」と助言をくれた。ドキドキ、ロシア警察inウラジオストク空港へ!(依然として血の気が引いている友人を後目に私はワクワクしていた)
 
ウラジオストク空港の2階、大韓航空のオフィスの奥にロシア警察はあった。私はロシア語が話せないし、ロシア警察は英語が話せないのでお互いの共通言語は0である。ロシア警察が親切にもGoogle Translateでロシア語、日本語の翻訳をしながら事情を聞いてくれた。「パスポートをなくしました」「最後にどこで見ましたか」「入国審査のところです」「わかりました、こちらで待っててください」
 
案内されたのは、あたかもK●Gが取り調べをしていそうな鉄格子のついた部屋である。中央には巨大な机があり、その机に荷物を置いて再度中身を探すように指示された。ロシア警察は(暇なのか)5,6人が部屋をのぞいたりしていた。困ったな、なんだこの珍妙な日本人は…とロシア警察が思ったかは知らないが、突然着信音がし、おおっとロシア警察がどよめき、一人が走っていった。「入国審査のテーブルにありました」どうやら入国審査で慌てていたので、そのままパスポートを置いてきたらしい。
 
最悪のトラブルに巻き込まれるのは、小さなトラブルに巻き込まれたがそれが終わりホッとした瞬間である。皆様には気を付けて頂きたい。

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18等身でお楽しみください

1日目のホテルに荷物を下ろす

1日目はアパートホテルサンライズに宿泊した。良くも悪くもない感じで、まぁ宣伝写真よりは小汚いのが実際である。3人で泊まるには十分な広さであった。

jp.hotels.com

いざ北朝鮮レストランへ!

ウラジオストクといったら北朝鮮レストランである。特に平壌冷麵が美味しいと聞いてやってきた。ただ、市街地からタクシーで10分弱の距離にあり、夜歩くには少し怖いエリアである。女性だけの旅だったら夜はいかない方が良いだろう。

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怪しい雰囲気である※服の色に他意はございません。
残念なことに料理の写真は撮っていないし、もう何も覚えていないので再現イラストを描くこともできない。ただ平壌冷麵は思ったよりもあまり…であった。また喜びの組2軍が踊ってくれるという話だったがそれもなかった。事前によく調べたり予約する必要があったのかもしれない。

1日の終わり

1日目は到着、散歩、北朝鮮レストラン、といったところであった。
また時間を見つけて2,3日目を書きたい。(まれーヴぃち)

英語多読に思うところ【20万語】

6万語から20万語になった。読んだ本の一部を紹介すると下記のようなテーマも難易度もぐちゃぐちゃな感じである。
・Women vs Feminism
・TIME(雑誌)
・The death of Englishman

20万語段階での所感

①難しいと易しいを行ったり来たりすることの効果
そもそも私はたたき上げの(?)受験英語でちょっとだけ蓄積がある。そのため、語彙数が制限されている本だとどうしても物足りなさを感じる時がある。テーマであったり、表現であったり。その場合はあえてTIME、Newsweek、普通の洋書を読んでみる。当然分からなかったり、置いてかれたりする。脳疲労。そこで語彙数が制限されている本に戻る!すると、脳みそへの負担が一気に軽くなるのでめちゃくちゃ読む速度が速くなる。易しいものから…というのが英語多読の通説だが、難易度なんて気にせず読みたいものを手に取ってみることが大切かもしれない。
 
②レベル上げ、レベル下げ
①で難易度を気にするなと書いたが、そうはいってもPenguin Readersのレベル3からレベル4にいくタイミングっていつだろう、みたいな時がある。今までよくわかっていなかったが、最近感覚をつかんだ気がする。それは①でも触れたが「なんか物足りないな」と思った時である。英語多読用の語彙数制限がある本は語彙が制限されているからこそ、表現に限界がある。その表現がシンプルだなと思った時が次に移る時だと思う。また今度はレベルを下げる時は、話についていけない時はもちろんだが、つまんねーと思った時もレベルを下げるタイミングである。多読のレベルは一直線ではなく蛇行しながら上がるものかもしれない。
 
③TIME, Newsweek, National Geographic
洋書と並行して雑誌に手をつけた。TIMEは英検1級を目指すなら絶対に読めるようになっていないといけない、らしい。けれども難しすぎる。特に紙の記事は語彙、文法ともにネット記事よりも難しいと感じるが、気のせいだろうか。TIMEと比べるとNewsweekはかなり読みやすい。恐らく英検準1くらいなら読める気がする。政治の話題に疲れたらNational Geographicである。TOEFL等アカデミックな英語単語を一度勉強したことがあるなら割と読めるし、写真もビビットで興味を引く。
 
次は50万語かな。徐々に読む速度も読める幅も広がっている気がする。

死ぬまでにやるべきことリストー本物の大人らしさの追求ー

「○○ができる人が本物の大人」みたいなものを誰しもが持っていると思う。今回は私が約四半世紀生きてコレクションした「○○ができる人が本物の大人」の一部をご紹介する。
 
・身近な、例えば自宅付近などの日本国内の道端に何か歴史的文化的な観点で思いを馳せること
一人でブラタモリをやるみたいな感じである。これは、私が第一の趣味である、海外旅行の楽しさを現地の歴史的、社会的、文化的な側面を味わうことに見出していることに起因する。換言するなら、日常である日本と異なる海外現地の何か差異を楽しんでいるのである。つまり、わかりやすい差異に飛びついて喜んでいるのだ。もっとも、できるために具体的に何か行動をしているかといったら何もしていない。日本史選択だったが、それだけである。その後何もやっていない。だけど焦ってもいない。いずれその時が来たら興味が出てくるはずである。
 
アウシュビッツ=ビスケナウ博物館に行くこと
この博物館には「過去を忘れる者は、きっと過ちを繰り返す」という言葉が飾ってあると聞いた。私は真の知識人を目指しているが、そのためには人類が犯した罪を学ぶ必要があると思う。幼少の頃、母親に勉強する意味を聞いたところ「世界平和のためだ」と返ってきた。勉強し様々な観点を身に着けることで利害対立しがちな多文化に対する理解を深め、然らばそれは世界平和に繋がるそうだ。アウシュビッツにあるのは、国が違うことの多文化というより、時代が違うことの多文化だと思うが、いずれにせよ真の知識人たりえるためには一度行ってみて、自分の目で見て、感じることが大事だと思う。
 
シベリア鉄道でロシアを横断すること
実は既にウラジオストクからハバロフスクの1夜だけシベリア鉄道に乗車したことがある。トイレがとんでもなくヤギ小屋臭く、1等以外はシャワーもないため、とてもじゃないが1週間乗り続けることは不可能な気がするが、それでもやはりそのロマンチックさに魅力を感じるし、悠久の凍てつく大地に思いを馳せる経験が人生には必要だと思う。いわば大人になるための通過儀礼みたいなものである。
 
・英語はもちろんのこと外国語、そして日本の古語を不自由なく使えること
真の知識人は邦訳や現代語訳に頼らず一次資料を見れると思う。というか、万人に対してわかりやすく加工されたものは大して価値がないと思うようになったので、読みたい人だけが読めるものに価値があるような気がする。邦訳や現代語訳に頼る人間が真の知識人ではないように感じる。
 
以上が私の「○○ができる人が本物の大人」である。自己顕示欲と権威主義的なところが必要以上に匂うのでタイトルに知識人とは書かなかった。私にも人並みの羞恥心があるのである。(まれーヴぃち)

僕はまだ精神の安定を成し得ない。

ごきげんよう、てふてふです。

梅雨も明け、無慈悲にも厳しい夏の開幕を

感じますね。

 

前回があんなに多幸感に溢れていた(?)ブログだったのに、今回はバキバキの鬱です。

ウキウキの夏、希望…………あややも卒倒するほどの暗さ…知らんけど…

 


ここから先はもう文体から暗さを滲ませてくので…お気をつけください…(?)

 

 

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なにはなんとも精神が安定しない。

生きるのが少ししんどいんだ。

漠然と心の中に、ずっとずっとモヤがかかっているような、喉にちょっとした小骨が引っかかっているような、

そんな些細な”生きづらさ”と共存している気がする。

 


なにか大きな要因があるわけではないはずだ。

確かに嫌でも耳に入ってきてしまうコロナ情報、

仕事も雲行きは怪しいけれども、平時よりもお休みも、生活できるお給料も貰えてるんだ。

だから別に致命傷ではないんだ。

 

むしろわたしは、人の世の幸せを享受できているはずなのにな。

 

わたし、という人間はもうずっとこうだ。

ただただ漠然と、生きることがめんどくさいなと思ってしまうんだな。ただ、死にたいと同義ではない。死にたくないけど生きたくない、そういう機微か。

 


少し前に、母に生きづらさについて話してみた。

母はてんでそういった感情は抱いたことがないようだった。つくづく母とはなにもかも真反対だ。

だから、もはやなんとも思わなかった。

でも母なりにわたしを理解しようとしてくれたのだろう、

「おばさんになればそんな事も悩まなくなるから

いいもんだよ」

そっと優しく言葉を掛けてくれて、この話は終わった。

 


この生きづらさが何なのか、いつか気づける日がくるのか。果たして理解することに意味はあるのか。

それとも、

そんなことすら忘れておばさんになっていくのだろうか。それは、痛みへの耐性が着くからなのか、はたまた些末なものへと形を変えてくれるからなのか。

 


幸せの花が綻ぶときは、きっとまだ遠いのだろう。

 

てふてふ

言語化できない感情を言語化することの大切さを噛み締める

私は子供の頃、悩みが多かったように思う。しかし、その悩みの総量は他人と比較したものではないので、きっとどこの子供も抱くような悩みだとは思う。今更「自分の悩みは自分にしかないものだ」と青臭いことは感じていられない。しかし、ここで改めて記事にする意味は、他の人との差異があるからであり、それは自分の気持ちを言語化することに固執していたし、今も固執していることだ。
 
何故気持ちを言語することに固執していたのか。それは伝えられなくて解決できなかったことがあるからだ。それについては詳しく書くのは止そう。また、大人になって分かったが言語化してあると、解決策を探しやすい。間違った言葉で検索しても欲しい情報が手に入らないようにモヤモヤを適切に言語化しておかないと、そのモヤモヤは何も変わらないまま心の中に居続けるのである。
 
実は気持ちを言語化するというのは少しオシャレな言い方をしてしまった。気持ちというラベルがついている時点でそれはほぼ言語化している=他人に伝えられる状態になっているようなものだ。ここでは嬉しい、怒り、悲しい、楽しいといった既に言語化されている感情と区別するために、言語化するのに苦労する感情のことをモヤモヤと書くことにする。
 
私が子供時代に抱いたモヤモヤを当時の言語化レベルで表すと以下だ。
  1. 転校先で近所に住んでいてる友人2人は既に友人関係が長いので、私は当然そこに入れないが、田舎というのは近所に住んでいるだけで友人にならないといけないため、常に疎外感を覚えながら友人然としていた。
  2. 第二次性徴を迎えて身体がこどものものから女性へになる時、自分の身体を奇妙に思っていたし、持て余していた。正直言って増える曲線は気持ちが悪かった。
  3. 高校時代になると、毎回決まったサイクルでどうしても学校にいけない日が発生していた。死にたくなったり、眠かったり、学校に行って勉強したり部活したいのに、どうしても出来なかった。

さてはて、これらは大人になるにつれて、いや具体的に書くならば、大学入学を期に都会に出てきて全て解決した。何故か。それはアクセスできる情報源が急激に増えたからである。

 

アクセスできる情報源というのは、田舎と比べると都会は、図書館数も多い、蔵書数も多い、通える選択肢になる医者も多いということであるし、加えて大学進学を期に与えられたパソコンで自由にアクセスできる情報が増えた。それに、当時が丁度SEO対策黎明期であったと思うので、適切な情報に出会える確率がぐんと増えた。

 

今なら上記のモヤモヤ3つをもう少しクリアに言語化するとこうだ。

  1. 今思えば毒がつく成育環境であった。私の親は私を褒めるよりもその友人たちを褒めることが多かった。わたしをほめてといえばよくばりだと言って叱られた。最も他者からの褒めが欲しい時期に褒められなかったら自己評価も狂うもの。また私よりも褒められる友人たちと素直に楽しくお遊びなんぞできるわけもない。そうである。友人たちが原因ではなく、私の家に、私に原因があったのだ。そう思うと、自分の気持ちに折り合いが付けられるようになった。
  2. これは少々難解であるが、村田紗耶香の作品を読むことで言語化に成功したと考えている。身体の変化にも戸惑いがあったが、それよりも徐々に無性別である子供扱いから、(女性というよりも)女子の扱いになることが気持ちが悪かったのだ。急に彼氏、彼女という概念が登場したり、イケてる、イケていないという形容詞が出てきたり、である。これは非常にジェンダーの問題と近く、世の中のジェンダーの問題が解決していないように私の中の女性性の取り扱いも解決していない。しかし、問題に名前がついただけ対処がしやすい。
  3. 完全にPMSであった。今思えば、PMDDの可能性もあった。けれども、それだとは気が付かず、必要な医療も受けられず、ただただ布団に閉じこもるしか出来なかった。現在は婦人科に通院し必要な処方を受けているため、学校もとい会社に行けない日はない。
このように自分がアクセスできる情報源が増えることは、自分が健やかに生きる上で非常に大事なことだ。
 
特に女性を取り巻く環境はどんどん変化している。女性の社会進出の仕方や生理の対処など、初めからトラブルを避けることやよりよくすることの情報は世の中に増えてきている。しかし、どんなに世の中に情報があっても、アクセスできなかったら意味がないのである。難しい問題ではあるが、ここにインターネットが既に社会インフラの一端になったことを垣間見た。(まれーヴぃち)
 

得体の知れない友人の心地よさについての考察

自慢に聞こえるかもしれないし(実際これは自慢なのだが)、私にはいつどこで、どうやって仲良くなったかよく分からない得体のしれない友人が何人かいる。
 
今まであまりこの得体の知れない友人といることが居心地がいいのか、について考えたことはないが、きっとこの先様々な類の友人と過ごす上でのヒントになると思うので、考察してみようと思う。
 
得体の知れない友人の心地よさは分解すると、二つの要素で構成されている。一つは話すことで、もう一つは話さないことである。
 
話すことというのは、私が話す内容、相手が話す内容、そしてその返答が丁度良いということである。それは明文化されるものである。
 
話すことには、話題の選択の仕方や表現の仕方等が含まれる。それらは私と相手がこれまで読んできた本や、観てきた映画の積み重ねだと思う。これはまだ解明していないのだが、読んできた本や観てきた映画が同じであることは、「自分と同じである」という親近感に繋がり、安心感になるが、異なる読書や映画の積み重ねは「自分と違うから知りたい」というどきどき感になる。どこに分水嶺があるのかいつか解明したい。
 
話さないこととは、話すことと比較して明文化されないものである。それは、相手の雰囲気や話をする、話を聞く態度や表情などである。また、話さない時間があっても許されるということでもある。
 
話すことでは何が「話すこと」を形作ったかを考察したので、無理やり「話さないこと
」が何で形成されるかを考察すると、恐らく今まで会ってきた人の積み重ねだと思う。人間の雰囲気やコミュニケーション上の反応は、自分ではない他人のそれを真似しているか、これまで生きてきて「こう振る舞うのが楽」と考えるものに無意識になっているからである。
 
話すこと、話さないこと両方大事であるが、ここでメラビアンの法則を持ち出し、実際友人と一緒にいて感じる心地よさ度に影響を与えるのは話さないことであると思う。
 
話の内容などの言語情報が7%、口調や話の早さなどの聴覚情報が38%、見た目などの視覚情報が55%の割合であった。-メラビアンの法則, Wikipedia
 
歳をとるにつれて、自分の役割や所属が明確になるため、得体の知れない友人はできなくなった。「この人はXX所属だからXXの話はできないな」とか制約の多い関係は、ルールがある分やりやすいこともあるが、少し息苦しい。
 
もう得体の知れない友人ができることはないかもしれない残りの人生を考えると寂しい気がするが、それもまた一興。代わりにSNSを通じた、本当の意味での「得体の知れない友人」を得ることになるのはまた別の記事で。(まれーヴぃち)